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人間は生まれてから死に向かっている
みな違う道を辿っているが最後同じ墓場ですることを終えるというものである。
孔子は学びや仕事に休みはないと告げている。
 しかし皆同じところで交わるとは言っていない。
純粋に「自分の学びをやめたければ、死んだら脳は学習しないよ」ということなのだ。
人間は赤ん坊から老いたのちもずっと目や五感を通して外部の情報を得ているのだ。
 
 一部の人が同じ「死」で交わるといっている・・・・確かにそうだが、宗教はすべてそうだろうか?

であれば「生」もまた同じで納豆のように様々な道を通って最後交わるといっている。
同じ宗教であれば最終点は同じだろう。
しかし輪廻転生を約束している仏教では死後すぐに生まれ変わる。
よって同じタイミングではないが死は訪れる。

死が同じであれば生も同じ。

 タイミングや出生方法の違いは、星でもわかる。
星の誕生は人間の腹になる人間の子と違う誕生であり、死もまた違うものである。

よって人はみな同じ方向で終わるかというと。。。。。「属」でいえばいっしょだが、終わり方はそうではないのかもしれないという。


人の人生を「道」にたとえているのは中国の孔子・儒教の考え方ではある。
「失道」とは道をなくした人間と例えている。
これを生や死にたとえているかといえばそうではない。
仏教と日本の88の神やキリストの絶対神の考えとはまた違う。
アダムとイブはアダムから骨を与えられたイブの物語であり、キリストはキリストのみが神の子であり、他は人間です。という考え方である。彼らには「道」という単語は存在せず、マザーグースの「バビロンへの道」とキリスト誕生の星の話が道について語っているが人間を導く道ではないのだ。


よってあまりこの考え方はアフリカや中東でいっても壁外の厳しい黄砂とかが降る国には受け入れられない。欧州で学んでいる人がいるとも思えない。特に北欧。
というか、、、、彼らの文化と接点がない。


人種が違うので人種の基準となる平均体重や平均身長が異なるところに〇〇mlのワクチン接種の義務付けがその国で違うように、違うのであります。

よって日本人も様々な民族から成り立っているが結局自分がインディアンなのかアイランド人なのか中華系なのかタイ系(ストレートヘア)なのか忘れている、もしくはしらない人間も多く、在日韓国人でも日本人に考え方や習慣がすっぽり規格内に入ってしまっているのが多い。


よってちょっと変とかいうのは人種が違う可能性は多いが、あれが日本人なのかもしれないと思うワシであった。
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