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というわけで、(どういう訳だが)仲間、つまりはカテゴリーに集めるのが日本流なのである。
セクション別というか。
よく、子供を産むなら女子がいいというのも、男女差別が激しいところでは仲間の数を増やすのが良い。男性と女性は性別が異なるように種別が違うのである。
というのも種と畑的な感じに分けてあるのである。
デフォルメーション通常デブで説明すると、一般的に中国人は白人とみられたいと良くいっているが、日本人から見たらあまり大差がないアジア人である。
韓国人もさらに日本人に近い。
つまりデフォルメーションが進んでいるのだ。
個体には差がある。
しかし白人的にいうとチャイニーズエンペラーを中心とした兵隊は皆同じようなもので、同じ体格なのである。個性がない。
個性がないのが共産主義の特徴なのである。
好みというのも女子が何を好むか、またマナーやしつけなども、どこのポイントをもってみるかである。
日本人はしばしば箸を使うので、使えない白人は教養がない。ましてや、アジア人系であるのに箸が使えないのはもってのほかである。この場合スペイン系、ヒスパニック系、アフリカ系は眼中にないんだな・・・・・と思ってしまうが、もとからインド同様手で食べる民族にはホークやナイフ、スプーンや箸という概念がない。
箸はトングにも近いが、トングのように使っているのは少なく、スプーン状に2本並べて持つのが箸を持ったことのない人間に近いのである。
作法とは文明が進んだ人間が作り出したものではあるが、宗教上の色合いが強い。つまり抹茶茶碗などは茶道会のほうでは重宝されているが、貴族・一般人の宝ではない。なぜなら「集会」であって「宗教」ではない。
代々お宝として受け継がれているものは家の家宝だったり、宗教上のものが一般的である。
なお、ここでだまされてはいけないのが「i will treasure it」の和訳である。
「たからものにするわ」と例えば映画のアリスインワンダーランド2で訳しているが(ハートの女王の台詞)実際は「埋めておくわ」である。
つまり「つかうもの」で考えている米国文化では日常的に身につけているジプシー的なアクセサリが価値があり、しまっているのは使わないのである。それは絹文化がある日本とは対照的で古着(絹)を代々受け継ぐという意識がない。それは染め技術の違いにも出てくる。
染色技術が毛製品やナイロン・人工繊維などの場合、発色性が悪く、コーティングが難しいので劣化しやすいのである。また毛自体の内部の空洞になっているところがあるのがわかる。
コルテックスとキューティクルで構成されている。まぁ、この話題は次回に持って行くとする。
というわけで(どいうわけだか)集会には宗教上の意味合いがない。
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